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【天の架け橋】

▲天橋立がどうやって誕生したのか?神話にまつわるエピソードを紙芝居でご覧いただけます。
作品の著作権は宮津市立図書館に属します。

【天橋立・府中の成り立ち】
「府中」の名が示す通り、古代・中世には国府・守護所が置かれ、丹後国の中心として栄えた天橋立・府中地区。 8世紀の丹後国風土記逸文では、拝師(はやし)郷<=速石の里>とされ、「神の御寝ませる間に倒れ伏しき」という天橋立の創成神話 や往時の様子が記されています。

拝師という地名には諸説あり、奈良時代では地名二字化を推進していたことから、林(天橋立の事か?)を拝師としたとするものや、拝師=製鉄集団という意味があるという説もあります。

確かに、丹後には日本最古級の製鉄コンビナートといわれる京丹後市弥栄町の遠處遺跡があり、天橋立内海一帯を支配した弥生時代の王の墓といわれる与謝野町大風呂南一号墳からも大量の鉄製品が出土していますので、この地は製鉄など高い技術を持った人々が早くから住む、古代有数の先進地ではなかったかと推測できます。
これを裏付けるかのように、崇神天皇の時代には大和から当地の吉佐宮(= 眞名井神社)に天照大神の遷行があったとされています。

以後、元伊勢と呼ばれるようになるこの遷行には政治的な意図があった事を指摘する方もいて、実に興味深いところではありますが、それらの事情に加えて天橋立という天然の防波堤がある良港、山陰道へのアクセスの良さなど、人や物資の集まる地理的な条件が絡み合って丹後における政治・経済の中心地となっていったと思われます。




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