弁財天周辺
弁財天周辺
【3】弁財天周辺 地元では“べざいと”の愛称で親しまれる「弁財天」は、市杵島姫命を祀ることから「江之姫神社」と呼ばれている。天橋立から続く街路は“大道”というが、図中にはそれとおぼしき道状の白線や「千歳橋」、「通堂」が描かれている。海岸には「大松」がその威容を誇っていた。

享保11年刊『丹後国天橋立之図』は江戸時代の観光ガイドブックである。 序文に「雪舟の古図にもとづきて」とあるように、雪舟が墨書した箇所も解説付きで紹介されている。図中には街道が朱線で描かれ、天橋立の根もと「江尻村」は 「村の入口まで天橋山(智恩寺)の境内なり」と解説されている。

「千歳橋」は「(江尻)村の内、西へゆく道、成相道也。小石橋あり。雪舟の古図にある千歳橋也」と記され、道沿いには「江姫社」もあるが、「通堂」は見あたらない。

最新の研究によると、16世紀半ばごろの府中の景観を伝える『成相寺参詣曼荼羅』には同じ位置に門状の建物が描かれているという。「通り堂」と呼ばれる建物は各地に類例が見られ、名のごとく堂内を通り抜けられる構造であったようだ。一般には寺院や集落に入る門の役割を果たす場合が多いが、丹後府中においては都市域の入口を結界する施設であった可能性が指摘されている。

また、「大松」については『丹後国一宮深秘』に、籠大明神が大きな籠のような姿で光を放ちながら橋立の松の梢に影向したとあり“神の天降る松”として描いたという説もある。20km沖にあり構図に入りにくい「冠嶋、「クツ嶋」が墨書付きで描かれたのも信仰上の理由ではないかともいわれている。